「賢くなりたければ、本をたくさん読みなさい」

これは世間一般に学習の王道とされています。

僕がわざわざ念を押して言うまでもなく、読書を通して学者は過去の成果を学ぶし、ビジネスマンは過去の成功事例を学ぶし、哲学者は過去の哲学を学びます。

僕もたくさんとは言えませんが、本を読むことでそれなりに色々と学んでいるつもりです。

そういう意味で、この学習の王道を否定するつもりは全くないですし、むしろ王道と呼ばれるだけあって、誰もが一度は通るべき道だと思っています。

しかしながら、「経験に勝る知識なし」という言葉もあるように読書よりも重んじられる学習(?)があるのもまた事実。

個人的には読書も経験の一部じゃないの?と思う部分はあるのですが、それはともかくとして、ここでの経験は恐らく主に「体験」のことを指しているんだと思います。

「体験」とは何か。

それは僕らが生きていることすべてです。

物凄く当たり間の話をしますが、日常生活って全部が「体験」ですよね?

ご飯を食べるのも、歯を磨くのも、電車に乗るのも、化粧をするのもすべて直接肌で感じる体験。

何かを体験しなさい、みたいなことが言われる場合、それは普通、非日常的な体験(例えば演劇を見たり、山に登ったりすること)を指します。

でも、わざわざそんなことしなくても、僕らは普段から常に何かを体験してるんですよ。

だったら、その日常体験から学ぶのが一番効率がいいと思うし、体験に根差している以上はそっちの方が本から得る知識よりも優れているんじゃないかと僕は思うワケです。

そしてもう1つ言っておきたいのは、よく「貴重な体験」という言葉で珍しい体験を表現することがありますが、それ以前に、そもそも僕らが生きている今この瞬間は常に「貴重な体験」である、ということです。

だって二度と同じ時は巡ってこないんだから。

毎日同じような生活をしているように見えても、1歳の1月1日は一生に一度しか巡ってこないし、2歳の1月1日も一生に一度しか巡ってこないのです。

「今」という時は一生に一回しか体験できないんですよ。

これを「貴重な体験」と言わずして、何と言えるでしょう?

つまり毎日その瞬間瞬間が常に「貴重な体験」なのです。

 

だとしたら、少しでも無駄のないように、貴重な体験を取りこぼさないように全力で生きなきゃいけないのは当然の話。

今回はその「取りこぼし」をどうやったら最小限に抑えることができるのかを考えてみます。

まずさしあたって考えておきたいのは「学ぶとは何か?」です。

僕らが「学ぶ」という言葉を使うとき、頭の中のイメージはどのようになっているのか。

普段そんなことを考える機会はまずないと思いますが、いい機会なので今考えてみて下さい。

数学を学ぶ、ビジネスを学ぶ、哲学を学ぶ、芸術を学ぶ・・・。

さて、どうでしょう?

何か面白い答えは浮かんだでしょうか?

実は僕も今この記事を書きながら答えを考えています(笑)

・・・10分経過(苦笑)

やっとなんとなく答えらしきものが見えてきました。

「学ぶ」とは、そこから自分に必要な情報を引き出し、自らの血肉に変えていく作業である。

一応僕なりの答えはこんな感じです。

もっとシンプルに言えば

『「学ぶ」とは、自分(の精神)を変えていく作業である』

となるでしょうか。

もちろんこれが唯一の答えではないですし、もっと他の角度からの答えもあるでしょうから、自分で考えた答えを捨てたりしないで下さいね。

ただ、便宜上いろんな定義が混ざると面倒なことになるのでここでは上記の定義で話を進めさせてもらいます。

 

「What?」を考えましたから次は「Why?」ですね。

なぜ僕らはわざわざ学ぶのか。

これは僕が勝手に決めちゃいます。

『楽しいから』

です。

逆に言えば、楽しくないなら学ぶのなんてやめちゃいな、ってこと。

というか、それはもはや「学び」とは言えないと思います。

さっき僕は自分を変えることが「学び」だと言いました。

じゃあ人が自分を変えようとするのはなぜなんでしょう?

それは「なりたい自分があるから」ですよね。

今の自分じゃ満足できない。

本来あるべき自分になりたい。

そう思うからみんな学ぶワケです。

これは逆に言えば、今の自分が理想の自分に変わっていく過程が「学び」だということです。

学べば学ぶほど理想の自分に近づいて行く。

だったら、その過程は楽しいと思いませんか?

英語を学んで英語ができるようになってくれば、その「学び」は普通に考えて楽しいはずですよね。

だって理想の(英語ができる)自分に少しずつ近づいてるんだから。

数学でもビジネスでも何でもそうですが、理想の自分に近づく過程なら多少苦しかろうが辛かろうが楽しいと思うのです。

こういう話をすると「結果が出なければ楽しくない」という意見も出てくると思います。

でもよく考えてみて下さい。

「結果が出ない」のに、それは「学んでいる」と言えるだろうか?と。

それは「学んでいる“つもり”」なんじゃないの?ということです。

もしくは結果を気にし過ぎるが故に単純に「楽しめていない」。

どっちでもいいですが、多分どっちも「学び」は成り立ちません。

なぜなら、「学んでいるつもり」は結果が出ないから楽しくないし、楽しくなければ学びは続けられないし、続けられなければ結果なんて出るワケがないから。

あと「結果がでなければ楽しくない」というのは学ぶ者の態度としてそもそも少しズレているような気がします。

というか、それは学校教育に洗脳され過ぎている。

ここで言う結果とは主に「数字で測れるもの」「目に見えるもの」を意味するはずですが、そもそも結果というのは目に見えない形で出てくることの方が多いですから、その発想自体が誤りなのです。

 

自転車に乗る練習って小さい頃にしたと思います。

あれって本人の感覚としては「乗れない」が急に「乗れる」に変化したように感じるんですが、本当は何度も練習するうちに少しずつバランスを身につけてるんですね。

それが一定のレベルに達したから乗れるようになったワケで決して0から急に100になったワケではないのです。

同じように、英語だって数学だってビジネスだって何だっていきなり目に見える形で結果が出たりはしません。

少しずつ何かが変化していって、それがある程度のレベルになって初めて目に見える結果になるのです。

僕の尊敬する人が言っていました。

「勉強ってのは不思議なもんで、1学んでも0、10学んでも0、100学んでも0だったりするのに、1000学んだら急に(目に見える形で)1億の結果が出たりする」

って。

そういうもんなんですよ。

だから「結果が出なければ楽しくない」なんて言ってる暇があるならそれをもっと楽しむ方法を考えた方が意味があると思うんです。

どんなに目に見えなくても楽しく続けていれば勝手に結果はついてくるんだから。

と、余談が過ぎましたが、まあ要するにここで僕が言いたかったのは

「楽しくなきゃ学びじゃない」

ってことです。

 

さて、ここでやっと本題です。

上記を踏まえた上で、取りこぼしのないように日常を生きるにはどうすればいいのか。

答えはシンプルです。

『普段から楽しいことだけをする』

これだけ。

僕は常々「楽しいことが一番学びになる」みたいなことを言ってきましたが、その論理が今のあなたには分かるはずです。

そしてこれがただの“キレイ事”じゃない、ということも分かると思います。

どうして楽しいことが一番学びになるのか。

それは「楽しいこと」=「学び」だからです。

より正確には

「楽しい」は「継続」するし、「継続」すれば「学び」になるし、「学び」になれば「楽しい」

という循環が成り立つからです。

だからこそ普段の生活から何かを学びとるためには、普段の生活を楽しくするしか方法はないと僕は思っていますし、それが一番手っ取り早く誰にでも出来る方法だとも思っています。

毎日の一瞬一瞬が楽しければ、自然とその時間を無駄にしないようになるでしょ?

面白い映画を見ているときはトイレに行く時間ももったない。

面白いマンガを読んでいるときは寝る時間すらもどうでもいい。

恋人と一緒にいるときは1分1秒が惜しい。

そうやって楽しさはその時間や体験を尊いものに昇華してくれるのです。

今回のテーマである“学びのセンス”とは、この「楽しさ」を生みだす能力を指します。

なんでもない日常をいかに楽しめるか。

普段誰もが見ている風景から、いかに多くの学びを“見出す”ことができるか。

それが“学びのセンス”だと思うのです。

東山魁夷という画家が

『平凡なものを緻密に見ると、非凡なものが見えてくる』

という言葉を残していますが、この“緻密に見る”ことこそが日常に楽しさを見つけるコツのような気がします。

非凡なものとは、驚きであったり感動であったりそういうもの。

そんな驚きや感動を平凡な日常で見つけることができれば毎日が楽しくなるのではないでしょうか。

最近アリの行列見ました?

アリの行列って、じっと見てると結構面白いんですよ。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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