今回は僕にしては珍しく自分の話を中心にしつつ
いろいろ書いていこうかと思っております。

とは言っても、僕が普段の生活で何をしているかを
具体的に書くわけではないので、そういったものを
期待している場合(そんな人いるのか?)は
あんまり読む必要はないかなぁ、と。

むしろ今回のはどっちかと言うと、僕の心理描写、
という感じでしょうか。

普段ペスは何を考え、何を思い、何に悩んでいるのか。

そんな感じの記事です。

まあ暇だったら読んで下さいな(笑)

以前チラッと書いたことがあると思いますが、
現在、僕には友人と呼べる人が非常に少ないです。

冗談抜きで片手で数えられる程度しかいない。

「それは多い方だよ」というツッコミもあるかと思いますが、
そこはグッと堪えて読み進めて下さい(笑)

で、なんでこんなに友人が少ないのかと言えば、
それは僕が成長するに従って周りの友人達を
「切り離して」きたからに他なりません。

これはある程度意図的なものです。

自然消滅した関係もありますが、ほとんどの場合、
僕が意図的に「切り離して」きました。

例えばメールを貰っても返事を書かなかったり、飲み会の
誘いがあっても一切行かなかったり・・・などなど。

普通に考えれば、さぞかし冷たい奴でしょう、僕は。

まあ実際に僕は冷たい奴なのかもしれませんが、
僕がメールを返さなかったり飲み会を断ったりするのは
実は相手のためを思ってやっていることなんです。

今の僕は、一般人と呼ばれるような人たちと話をしていても、
正直、まったく楽しくありません。

これは別に彼らを軽蔑しているワケではなく、単純に話す内容に
興味が持てないから楽しくない、という意味です。

逆に言えば、相手(一般人)も僕の話すようなことを
聞いても恐らく楽しくないだろう、ということ。

僕はわざわざ集まってまで会社の愚痴や思い出話やテレビの話
なんてしたくないし、相手も恐らく小難しい哲学や政治や歴史や
ビジネスの話なんてしたくないと思っているはずです。

つまり僕が言いたいのは、そんな理解できない
(理解しようとしない)人間同士が集まったところで
お互いにとって不利益でしかないんじゃないか、
ってことなんですよ。

だから僕は敢えて合わない人を「切り離して」いるのです。

もちろん、どっちかが歩み寄れば多少は雰囲気よく
その場をやり過ごすことは出来ると思います。

でもね。

それってどっちかが無理してる、ってことじゃないですか。

ということは、結局心の底からその場を楽しむことは出来ない、
ってことだと思うんです。

楽しむために飲みに行くのに、無理して気を使って話さないと
いけないなんて、そんなバカらしいことはないでしょ。

だったらいっそのこと、合う人同士で好き勝手やってた方が
その時間は有意義(創造的)なものになるんじゃないかと。

そう僕は思っているワケです。

ここまでの話を読んで、

「友人が減って寂しくないんですか?」

という疑問が浮かんだかもしれません。

でも、それが全然寂しくないんですよ。

ホントまったく。

むしろ友人が多かった頃よりも今の方が楽しいかもしれない
というのが率直な感想です。

友人の多かった頃は多分、自分の気付かないところで
色々無理してんたんでしょうね。

あからさまに「みんなに好かれよう」とは思ってなかったですが、
「嫌われたくない」みたいな感情は多少あって、その関係で
乗り気でない飲み会やイベントにも参加したし、一緒にいても
楽しくない人間ともその場の空気を汚さないために無理して
話していたこともありました。

もちろん、これはこれで和を大事にする日本人としては
正しいことなのかもしれません。

でも、「和を大事にする」ってのを裏返せば、みんなが
場の空気を汚して嫌われないように無理している、
ってことだと思うんですよ。

だったら、そんな集団とは付き合わない方がお互いにとって
健全じゃないの?と今の僕は思うワケです。

最近の僕は1ヶ月間仕事以外誰とも会わない、なんてことが
ザラにあるんですが、それでも寂しいと思うことは全くないし、
無駄に誰かと飲みに行きたくなることも最近はなくなりました。

更に言えば、一人で買い物に行くのも好きだし、
一人で本を読むのも、一人でPCに向かっているのも、
一人で映画を観るのも好きです。

でも、こんなことを口にすると世間では「なんて寂しい奴なんだ」
という目で見られる。

ということは、結局みんな

「群れ集まること」 = 「楽しいこと」

「一人で過ごすこと」 = 「寂しいこと」

だと勘違いして生きてるのです。

だから必死に(無駄に)群れようとし、仲間外れを恐れ、
当たり障りのない無難な(つまらない)人間が溢れる
衰退社会が構築されていくのです。

そもそも孤独とは、人間の本質です。

それは、どう足掻いたところで逃れることが
出来ないものだということ。

そこをまず受け入れる必要があります。

いくら群れ集まったって、周りの人達は自分にはなれないし、
自分も周りの人達にはなれないワケですから、何をどうやっても
孤独というものは拭えないのです。

つまり考えるべきは群れ合って孤独をごまかす方法ではなく、
「孤独とどう向き合うか」なのです。

さっきも書いたように、人間はそもそも孤独な存在です。

何をどうやろうとも孤独から逃れることは出来ません。

ということは、孤独を避けたり、孤独から逃げたり
しようとすること自体が自分という存在を遠ざけ、
自分を寂しい(虚しい)存在にしているのです。

孤独を否定すること、それはすなわち自己否定を意味します。

そんなことをいくらやったって現実が変わるはずがありません。

むしろ症状は悪化して益々寂しく(虚しく)なる一方です。

そうじゃなくて、孤独というのはちゃんと向き合って、
折り合いをつけていかないといけないものだと思うんです。

その折り合いの付け方は

「あぁ、俺は孤独なのか、まあ仕方ないよな」

かもしれないし、

「あぁ、私は孤独なのね、だったらいっそ孤独を好きになろう」

かもしれない。

自分が納得できるなら別に何でもいいと思うんです。

ただ、納得するまでは自分と向き合い続けろ、
ということは声を大にして言わせて下さい。

妥協したり逃げたりするな、と。

僕の場合は感覚的なものなので、どういう納得の仕方を
しているかは説明出来ませんが、孤独と向き合っている感覚は
常にあります。

というか、一人でいる時間が増えると勝手にそうなります。

最初の慣れないうちはその孤独が恐くなることもあるでしょう。

群れることに慣れてしまっている人ほど、一人でいる時間が
不安で恐いものになると思います。

実際、僕も最初は恐かったしね。

でも、その不安や恐怖は自分が勝手に作り出した
「幻想」なのです。

そんなものに惑わされてはいけません。

本当にあなたが戦うべき不安や恐怖はもっと他にあるのだから。

孤独それ自体は善でも悪でもありません。

孤独は、ただただ孤独で在るだけなのです。

それをあたかも悪いものかのように世間では言いいますが、
その風潮こそがまさに悪だと僕は思います。

もっと「一人ぼっち」を楽しめるようになりましょう。

そうすることで、本当の友人、本当の仲間の有り難さが
分かるようになります。

一人ぼっちでいても全く寂しさを感じない、
むしろ誰かといるより一人の方が楽しい。

そんな状況にあっても敢えて会いたくなるような人物こそ、
本当の友人、本当の仲間なのではないでしょうか?

少なくとも僕はそう思います。

それでは。