今回は話題をガラッと変えて時代性なんてものを
考えてみようかと思います。

10ヶ月ぐらい前に【リクルート就活人気ランキングに見る時代性】
という記事がアップされたのを覚えているでしょうか?

この記事では就活の流行を題材にして、時代は安定と
不安定を交互に反動し合いながら動いている、
ということを書きました。

【大企業】→【公務員】→【ベンチャー】→【インフラ】

の流れは、要素を抽象すれば

【不安定】→【安定】→【不安定】→【安定】

になる。

じゃあ次は恐らく【不安定】的な何か(記事中では起業)が
来るんじゃなかろうか、と。

そんな感じで予想したワケです。

この予想の結果が出始めるのは、現在の国の状況や
世界の状況からして、恐らく来年から再来年ぐらいに
なると思います。

今はいろんな意味で低迷期・停滞期なんで。

もちろん結果が出たとしてもそれが外れるという可能性も
十分有り得ますけどね。

ただ何にせよ、まだ現状では判断できない、ってことです。

まあその話はどうでもいいや。

要は、時代は反動で動いてるんだよ、ってことが言いたかった
だけなので、取り敢えずそこだけ思い出して下さい。

今回の本題はこの「時代は反動で動く」という考え方を
応用してもっと大きなものを捉えてみようではないか、
というものです。

大きなものとは何か。

それは「世界」です。

ここで言う「世界」は、みんながイメージしている「世界」の
ことだと思って下さい。

厳密な意味で世界を定義してどうの、なんて難しいことは
今は考えないので、漠然とした「世界」で大丈夫です。

その「世界」が今後どうなっていくのかを、
大きくザックリと、時には細かく、考えます。

いや、一緒に考えましょう、か。

せっかく去年あれだけ相対主義のいろんな側面を
学んだんだから、共に考えようぜよ、同志よ。

で。

まずは今までにどういう反動で世界が動いてきたのかを
確認するために、過去をザックリ振り返ります。

相対主義の話は過去の記事を参照してもうらうとして、
相対主義の前は何だったのかというと、近代、です。

多少強引に言い換えれば近代は理性絶対主義の時代とも言えます。
(近代とは何か、といった説明はまた機会があれば・・・)

この時代は理念や論理(科学)の進歩こそがより善い世界を
作るんだ、という考え方が世界を支配していました。

科学の果てには究極の楽園、ユートピアが待っているんだ、と。

劣った奴らを皆殺しにすれば、優れた奴だけが残って
素晴らしい世界になるんだ、と。

そーゆーある種、極端な(偏った)考え方を持った時代です。

これが良いのか悪いのかは今は考えません。

そーゆー時代があったという事実だけを頭に入れておいて下さい。

そしたらもう1つ遡って近代(理性絶対主義)の前は
何だったのかというと、神の時代、ですね。

この時代もさっきみたいに神様絶対主義という感じで
言い換えられそうですが、それは実は違います。

神は絶対ではありません。

いや、神の存在は絶対だったんですが、それに対する解釈は
理性とは違って一様ではありませんでした。

ルター派・カルヴァン派、カトリック・プロテスタントなどの
例を考えれば分かるように、これらは神に対する解釈が
全く異なります。

ルターは「懺悔さえすれば、神は何でも許してくれるさ」と
言っているのに対して、カルヴァンは「許すとか許さないとか
それ以前に神は全員の運命を既に決めてしまっているんだ」と
言ってるワケですから、神の立場(?)みたいなものは
全然違いますよね?

つまり「絶対」ではないんです。

むしろ「捉え方は人それぞれ」という観点から言って
個人的には相対主義に近い感じがします。

ただ、相対主義のように万人に立場を認めるような
物腰の柔らかい態度はこの時代にはないですけどね。

さて、そろそろ見えてきたでしょうか?

さっきの

【神】→【理性】→【相対主義】

という時代の流れを抽象化すると

【相対的】→【絶対的】→【相対的】

となります。

ということは、次はなんとなく【絶対的】な何かに
なるんじゃなかろうか、と。

そういう風に僕個人は考えています。

じゃあ【絶対的】な何かとは何なのか。

それが具体的に何かは僕にも分かりません。

ただ、恐らく【共】という字がキーワードになるような
時代がくるだろう、とは思っています。

しいて言うなら「共存(共有)主義」という感じでしょうか。

みんなで一緒にがんばろうよ、みたいな。

そういう時代が来る気がする。

いや、実はもう足は突っ込んでるんですけど。

その辺を今から詳しく解説していきます。

僕の考えでは、【共】というキーワードは大きく
2つか3つに分けることが出来ます。

【共感・共苦】【共存・共栄】(そして【共有】)

前者2つはセットです。

最後の【共有】は最後の1つというよりも、
全体を包み込むものという感じ。

この3つを通して未来の兆しを考えます。

まず様々なものを共有するものとして象徴的だったのが
ミクシィの登場ですよね。

ミクシィのコミュニティは情報や趣味を共有するための
絶好の広場です。

コミュニティにおいては情報の共有はさることながら
相談や激励など共感・共苦に溢れています。

またTwitterの登場によって僕らは見知らぬ人と
時間をも共有できるようになりました。

今何をやっているか。

今何を考えているか。

その「今」さえも共有できるようになったのです。

情報や趣味、時間の共有と来たら最後は空間の共有も
当然出てくるワケですが、これは一義的なものではなく、
様々なシェアリングが挙げられます。

身近なところで言えばルームシェアリングやカーシェアリング
なんかが流行してきてますよね。

他にも使わない服や調理道具などをお互いにシェアリングする
サイトも立ち上がっていますし、アメリカには自分の部屋を
使わない時に貸し出すサービス、というのもあったりします。

あとオフ会も空間の共有として捉えれば
その類かもしれません。

共存・共栄の根拠としては、やっぱり環境問題です。

世界はグローバル化し、誰か一人の問題が
世界全体の問題になり得る時代になりました。

あなたの捨てたたった1つのゴミが地球を崩壊させる。

これを極端な発想だと思う時代はもう終わったのです。

全員が生き残るためには、全員が全員のために
行動を起こさないといけない。

誰かだけが生き残って誰かだけが滅びる、なんてことは
もはや起こりえません。

0か100か、どっちかです。

だとしたら、共存・共栄をスローガンに動かざるを得ないことは
誰が目にも明らかでしょう。

まとめると

共感・共苦が世界を形作り、共存・共栄が世界を支える、
そんな【共】を中心とした時代がすぐそこまできている

ってことです。

僕の個人的な予測なんで、まったく違う方向に
進んでいる可能性も否定できませんけどね(苦笑)

ま、何かの参考になれば。

ではでは。