今回も引き続きコミュニケーションの論理について
考えていってみようと思います。

本当は前回の恋愛ネタだけで終わるつもりだったんですが、
現代においてはネットも重要なコミュニケーション手段だということを
不意に思い出しまして、追記することにしました。

実際、僕とあなたはこうやってブログを通じてしか
コミュニケーションしてないワケですし、
コミュニケーションにとってネットがどういう役割を
果たしているのかを知っておくことは現代を生きていく上で
決して損ではないと思うので、是非とも参考にして
もらえればと思います。

そしたら、まずネットをコミュニケーションの3つの
論理に当てはめる作業から始めていきます。

最近ではようやく個人でもネットで動画や音声を発信できる
環境が整いつつありますが、なんだかんだ言ってネット上での
主流はまだ【文字】ですよね。

僕がこうやってブログを使っているのもそうですし、
mixiやTwitterにしたって、全部文字。

当たり前ですが、検索も文字しかできません。

動画検索や画像検索なんてのもありますが、
あれだって文字を入力して検索することしか
できないワケですから、結局は文字に依存しています。

要するに現代のネットはまだまだ【文字社会】
だということです。

さあ、ここで3つの論理を思い出してみましょう。

コミュニケーションの3つの論理には

1.形式論理
2.コンテクストの論理
3.関係性の論理

の3つがありましたが、これを文字社会であるネットに
当てはめると、どうなるでしょうか?

1つ目は多分わかると思います。

形式論理は書かれた文字そのものです。

何のことはない、これは当初の説明通りですから
分かってもらわないと・・・という感じ。

じゃあコンテクストの論理はどうでしょう?

ネットにコンテクストの論理は有りますか?

わざわざ「有りますか?」と聞いているということは
答えは「無い」ってことです(笑)

まあ全く無いワケではないんですけどね。

なぜなのかは後から説明しますので、しばしお待ちを。

で、最後。

関係性の論理はどうなのか。

関係性も基本的には無いです。

これも今から説明しますので焦らずに(笑)

そしたら諸々の詳しい説明に入っていきます。

そもそもネットとはどういうものか。

さっきはネットは文字社会だと書きましたが、
もっと広く捉えなおした場合、ネットとは
グローバル社会である、と言い換えることが
できると思います。

これは別に僕が言うまでもなく、いろんなところで
言われていることですから今更わざわざ説明し直す
必要もありませんね。

じゃあグローバル社会ってどういうことなんでしょう?

この答えを僕の言葉で平たく言うなら

万人とのコミュニケーションが可能な社会

となります。

万人とのコミュニケーションが可能、つまりそれは

何の関係もない他人とも接し放題

だということです。

実際、このブログを書いている僕と読んでいるあなたには
何の関係性も存在しません。

僕の知り合いには一切このブログの存在を明かしてませんから
ほぼ間違いなくあなたは僕の知らない人だと思います。

にも関わらず、接点を持つことが出来ている。

これはネットがなければ有り得なかったことです。

毎日誰が作ったか分からないニュースを読み、
誰が作ったか分からないウィキペディアを参照し、
誰が作ったか分からない動画を見て楽しむ。

このようにネットで接する人同士は99%以上、
他人同士なんです。

だとすると、そこに関係性が無いのは当然ですよね。

だって僕はあなたのことを何も知らないし、
あなたも僕のことはほとんど知らないワケですから。

もし関係性があるとすれば、このブログを介しての
「書き手」と「読み手」という関係のみ。

これが関係と呼べるかどうかがそもそも怪しいですが、
ネットというのはこうやって関係性のない他人同士を
結びつけることのできる不思議なメディアなのです。

んで、コンテクストの論理の話。

これは実は関係性と大きく関連していて、
ネットには関係性の存在しないところに
コンテクストの論理は存在し難い、という特徴があります。

例えば僕がAさんという芸能人と凄く仲良しの関係で
ブログに

「Aさんってバカだよねー」

と書いたとします。

この記事を僕とAさんしか読まないのなら何も問題は
発生しません。

それはここで書いた「バカ」が冗談だということを
お互い分かっているからです。

しかし、この記事をAさんの熱烈なファンが
Aさんと僕の関係を知らずに読んだらどう思うでしょう?

「Aさんをバカにするなんて許せない!」

そう思ってもおかしくありません。

これは場の空気を正しく読めていると言えるのか?
という話なんですね。

普段の会話なら相手と何の関係もなかったとしても
相手が誰かと親しげに話していれば、ある程度その場の
空気や関係というのは掴めます。

「あぁ、あの2人は親しい仲なんだろうな」って。

でもネットの「静止した情報」ではそれが非常に難しい。

つまり読む側と書く側の関係性が無い(分からない)ことによって
文脈も非常に読み難いものになっているのです。

少し前まで芸能人のブログが炎上するという話が
あちこちで出てましたが、ブログ炎上というのは
こういったコンテクストと関係性が読めないことによって
生まれる現象なのです。

批判や中傷の言葉が形式論理的にしか理解されないと
誤解が誤解を生む「炎上」という現象になります。

ネットは非常に便利なメディアです。

しかし、それもやっぱり使い方次第、というか
使う人次第だと思うんですね。

そういう意味ではネットというのは通常会話よりも
より一層【相手への思いやり】が大切なメディアだと
言えるかもしれません。

通常会話なら雰囲気で伝わるところが、ネットには
「見える言葉」しか存在しないばかりに伝えたいことが
全く伝わらない、ということが起こります。

これを解決できるのは双方の【思いやり】しかないと
僕は思うんです。

ここで言う【思いやり】とは感情論的なことではなく、
読み書きのスキルをお互いに高めよう、ということです。

書く側は精一杯伝わる文章を書く。

読む側は精一杯書かれた文章を理解する。

ネットでのコミュニケーションを円滑にするには
結局これしかないんじゃないかと。

別にネットを使わなくても生きていくことは出来ますから
それはそれで構わないと思いますが、もしネットで情報を
発信したり集めたり交換したりする機会があるなら
最低限の礼儀として読み書きのスキルを磨くことだけは
サボらないようにしたいもんですね。

ではでは。