若干更新の頻度が落ちつつある今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか?

予告した通り、今回は前回の記事と非常に関連の深い
内容になります。

コミュニケーション力が一番大事と言われて久しい昨今。

本屋には平積みで「雑談を続ける方法」みたいなものまで
売り出され、人はお金をかけてまでコミュニケーションを
習わないといけない時代になってしまったワケですが、
そんな時代にタダでコミュニケーションの本質を
垂れ流してしまおうという、この太っ腹さ(笑)

読まなきゃ損、どころの話じゃありません(笑)

そんなにハードル上げちゃって大丈夫なの?
と思うかもしれませんが、それぐらいやっても
十分に超えられちゃうレベルで今回の話は面白いと
個人的には思ってます。

無論、いつものように抽象度はそれなりに高い話なので
実践に活かせるかどうかはあなた次第ですけどね。

さあ、それでは本題へ入っていきましょう。

 

コミュニケーション。

えー、いきなりですが、まずは自分なりに
コミュニケーションとは何か、みたいなのを
簡単でいいので思い浮かべて下さい。

以心伝心、相互理解、共感共苦、意思疎通・・・

別に四文字熟語である必要はありませんよ(笑)

色々浮かんだでしょうか?

じゃあ今度はコミュニケーションが取れている場面を
想像してみて下さい。

友達と楽しく会話、クライアントから褒められた、
職場が楽しく仕事がはかどる・・・

で。

多分なんですが、今コミュニケーションが取れている状況を
想像したときに、

「相手と円滑に何かを通じ合い伝え合えてる」

みたいなイメージが頭に浮かびませんでした?

浮かんでなかったらごめんなさい(苦笑)

でもここは強引にまとめます(笑)

要はコミュニケーションというのは、自分の伝えたいことを
正確に伝え、相手の伝えたいことを正確に受け取る、
その繰り返しで成り立っている、ということなんです。

じゃあ「正確に伝わる」「正確に受け取る」って
何なんでしょう?

これを解くには、3つの論理という視点が非常に
重要になってきます。

ここはあっさり書いてしまいますが、


1.形式論理
2.コンテクスト(文脈)の論理
3.関係性の論理


がコミュニケーションにおける3つの論理と
言われているものです。

「言われているもの」と言っても世間一般には
こんな話は出回ってないと思いますが、
極一部のマニアックな集団内では、常識として
通じる話になっています。

それはともかく。

1つずつ説明していきます。


1.形式論理

これは言葉そのものの定義、もしくは辞書的な意味のことです。

前回の記事に絡めて言うなら

「お前が好き」

を形式論理で理解すると

「あなたに心惹かれています」

となります。

ここには【「お前」が誰なのか】【どこで好きと言ったのか】
【なぜ好きと言ったのか】【何かがあって好きと言ったのか】
などの情報は一切含まれません。

文脈や関係性を無視した論理、とも言えます。


2.コンテクスト(文脈)の論理

これはその「場」における論理のことです。

冗談っぽく「好き」と言ったのか、真剣に「好き」と言ったのか、
はたまた告白の練習で相手がいない状態で「好き」と言ったのか、
などなど。

「場」は「シチュエーション」とか「雰囲気」、「空気」と
言い換えてもいいかもしれません。

前回も書いたように、この論理が読めない人のことを
KYと呼ぶワケです。


3.関係性の論理

これは名前の通り、相手と自分がどのような関係にあるのか、
ということです。

家族関係、師弟関係、恋愛関係、兄弟関係、友達関係・・・など。

自分の親に「好き」と言えば家族愛になりますが、
恋人に「好き」と言えば恋愛になります。

また同じ友達関係でも、知り合って何年経つのか、
異性か同姓か、どういった経験を共にしたのか、
といった情報も関係してくるので、一概に
「友達関係だから・・・」なんていう定義付けはできません。

以上の3つがコミュニケーションの論理と呼ばれているものに
なります。

さて、これを踏まえて先ほどの「正確に伝える」「正確に受け取る」
という話を思い出してみましょう。

何がどうなれば「正確」なのか。

それは、上記3つの論理を正しく判断できれいれば
「正確」だということです。

日本においては形式論理はほぼ無視しても問題ありませんが、
コンテクストの論理と関係性の論理は重要な地位を占めています。

日本人は昔から「察する」「言わなくても分かる」
という技術(文化?)を大切にしてきました。

それは言うまでもなく、2と3の論理を読むことで
成り立っています。

上司のコップが空いたら、言われなくてもビールを注ぐ。

師匠が作業を始めたら、言われなくても自分はそれを見て学習する。

友達が泣いていたら、そっとしておいてあげる。

場合によっては優しくなぐさめてあげる。

電車でお年寄りが乗ってきたら、席を譲る。

これがコンテクストの論理と関係性の論理を正確に判断する、
ということです。

つまり、発せられた言葉そのものではなく、
その場がどういう状況で、その相手が誰なのか、
そこを正確に捉えて行動していくことが
コミュニケーションの原点なのです。

「嫌よ嫌よも好きのうち」

なんて言葉がありますが、その場と相手によっては
「嫌」という言葉さえ「好き」という意味になります。

これは形式論理が最低限の役割、いや、何の役割も
果たしていない証拠ではないでしょうか。

もちろん形式論理が必要ないとまでは言いませんが、
今回紹介した3つの論理を意識して生活していると
いかに形式論理が軽視され、コンテクストと関係性が
重要視されているかが分かると思います。

これを語弊を恐れずに言ってしまえば、表面に見えているものなんて
本当はちっぽけなものでしかない、ってことです。

コミュニケーションにおいて大切なのは「見えない部分」、
「見せない部分」なのです。

喉が渇いた、でも言わない。

腹が立った、でも言わない。

バカだと思った、でも言わない。

それらはお互いに感じ取らないといけないのです。

何かの参考になれば。

ではでは。