ここ数週間にアップされた記事は、こちらの諸事情により
削除させて頂きました。

勝手でごめんなさい。

あれらの記事は気が向いたらレポートにして配布しようと
思っているので(もちろん無料で)、必要な場合は、
それまで待っていてもらえればと思います。

さてさて。

今回はこのブログのある意味「肝」とも言える
【勉強】についての記事を書いておこうと思います。

勉強って言っても別に「もっと勉強しやがれ、この野郎!」
みたいなことが書きたいワケではなく、僕にとって
勉強とはこういうものですよ、というのを書くだけです。

このブログを読む以上は、一応知っておいて欲しいので。

読みながら徒然と考えてもらえればと思います。

みんなの大嫌いなお勉強。

周りを見ても僕ぐらい異常なテンションで(笑)
「勉強が好き」と言ってるヤツはまずいません。

というのは、多分「勉強」の意味がみんなと僕とでは
違うからだと思うんですね。

学生なら宿題やったり、学校の授業を受けたり、テストのために
復習したりすることが勉強だと思っているでしょうし、
社会人なら資格試験の問題集を解いたり、C言語を覚えたり、
ビジネス書を読んだり、セミナーに出たりすることが
勉強だと思っている。

だから勉強が嫌いになるんだと思うんです。

これだと「やること」にフォーカスしちゃってますから。

でも、僕が【勉強】と言うときはもっと広い意味で
この言葉を捉えているんですね。

というか、僕の言う【勉強】は行動ではなくて、
態度とか姿勢とか意志とか、そっちの意味の方が近い。

つまり僕が「勉強好き」というとき、それは
「何かを学ぼうという姿勢が好き」ということ
なんです。

もっと言えば「そんな自分(や人)が好き」なんです(笑)

例えば、僕にとって【勉強】とはセミナーに出ること
ではなくて、どちらかと言えば、セミナーに出て何かを
学ぼうとするその姿勢そのもののことを指します。

学校で言えば、授業に出ることが勉強ではなく、
その授業からちゃんと何かを学ぼうとすることが
【勉強】だということです。

この違い、分かるでしょうか?

世間では「勉強しなさい」と子供を叱る親が多いようですが、
この違いが分かれば「勉強しなさい」と叱ることがいかに
矛盾した行為なのかが分かってもらえると思います。

(もちろん僕の言う意味での【勉強】において、ですが)

そもそも【勉強】とは、誰かに「させられるもの」ではなく
自分で「するもの」なんですから。


人生は死ぬまで勉強である


結構こーゆーこと言ってる人って多いですよね。

ググッただけでもいろんなブログでこの手の言葉が
目につきます。

ただ、それって本気で思ってんの?って思うんです。

一時的に「そう思った」だけなんじゃないの?って。

まあ誹謗中傷以外であれば誰がどんな発言をしようが
ほぼ自由だと思いますが、ここは敢えて書かせて下さい。

「安易にその手の発言はしない方がいい」

いや、別にいいんです。

別にいいんですけど、ブログで「人生死ぬまで勉強だ」とか
言ってる人に限って何も勉強せずに生きているような気が
するんですよね。

生きていることそのものが勉強なんだ、みたいな発想で。

あくまでもこれは僕の考えですが、僕は

人生は生きてるだけなら無駄である

と思ってます。

あ、もちろんこれは「勉強」という意味において無駄だ、
ってことね。

人間の尊厳を無視した発言ではないので勘違いなきよう。

話を戻します。

なぜ人生は生きているだけなら無駄なのか。

それは、授業に出て何もしないのと同じだからです。

人生が全て勉強だとするならば、生きている間は
ずっと授業中だ、ってことですよね?

ってことは、僕の定義で言えば、生きている間は常に
何かを学び取ろうとする姿勢でないといけないワケです。

そうじゃないと人生という名の授業が無駄になっちゃうから。

だから、生きていることそのものが勉強だ、
なんていうのは幻想だと僕は思っているのです。

自転車に乗ってるとき、昼ご飯を食べてるとき、
ギター弾いてるとき、ゲームやってるとき、
カラオケで歌ってるとき、飲み会やってるとき、
どんな時でもそのときを無駄にせずに学べていますか?

これが「人生死ぬまで勉強」ということです。

いつどんなときでも何かを学んでいる。

こんなことを実際に実践できている人が
この世に何人いる?って話ですよ。

僕だってまだまだこんな域には到達していません。

気が付けばボーっとしてるし、学ぶ姿勢を
忘れているときだって当然あります。

人間だもの(笑)

でも、だからこそ、勉強を大事にしてるんですね。

本を読んだり、セミナーに出たりするのも大事ですが、
僕にとってそれ以上に大事なのは、

常に勉強できているかどうか

なんです。

何をしていようが関係ありません。

何をしてても学べているかどうかが問題なのです。

歩いてるときでも、テレビを見ているときでも
マンガを読んでるときでも、映画を見ているときでも、
トイレに行っているときでさえも、何かを考え、
何かを学び取れているか。

道端に落ちているゴミを見て

「なぜあんなところにゴミが落ちているのか」
「なぜ道端にゴミを捨てる人と捨てない人がいるのか」
「道端にゴミを捨ててしまう人を心理学的に説明できないか」
「大勢の人が見ている前でも人は道端にゴミを捨てられるのか」
「そもそもゴミとは何なのか」
「客観的なゴミというものは存在するのか」

と深く考えられているか。

人生は死ぬまで勉強である

っていうのは、こういうことだと思うんです。

読書に励むのもいいですが、たまには何も無いところから
何かを学ぶ訓練、なんてのもやってみてはいかがでしょうか?

そこに「勉強が好きになるキッカケ」が隠れているような
気がします。

ではでは。