前回の【目標(やりたいこと)を見つける方法】はどうでした?

ってかやってないでしょ?(笑)

まあ別にいいんですけど(笑)

あれを読んで実際にやる人は1000人に1人もいないと思いますが、
もしちゃんとやって目標らしきものが見つかったという場合は
僕までご一報下さい。

素晴らしく行動力のあるあなたには、特別に次のステップを
お教えしますので。

あ、そうそう。

いきなり話は変わりますが、最近なにかと話題の
Twitterなるものに登録してみました。

まだまだ全然使いこなせてなくて
あんまり意味も分かってないんですが、
もし興味があれば僕を探してみて下さい。

何かしら面白いことがあるかもしれません。
(ブログの更新なんかはお知らせしてます)

 

さて、そんなどーでもいい話はこの辺にして、
さっさと本題に入るとしましょう。

えー、今回は【常識】にスポットを当ててみることにしました。

常識と言えば、前回の記事で【共同体の常識】というキーワードが
出てきましたね。

われわれは普段、無意識に「誰か」が決めたレールに沿って
生きている。

そのレールは日本の常識だったり、会社の常識だったり、
家族の常識だったり・・・

それらをまとめて僕は【共同体の常識】という風に
表現したワケですが、じゃあ

「現代における共同体の常識ってどうなってんの?」

ということを今回は掘り下げていこうかと思ってます。

抽象的で理解の難しい話になってしまいますが、
出来る限り平易な表現を心がけるのでご勘弁を(笑)

んじゃまずは常識の定義の確認からです。

【常識】の定義って何ですか?と質問されたら
あなたなら何と答えますか?

知っていなければならないこと。

生活するために最低限必要な知識みたいなもの。

誰もが当たり前にすること。

ザックリ表現すればこんな感じですかね、多分。

んじゃあ、ちょっとここで頭の体操ならぬ、
頭のトレーニングをしてみましょう(どう違うんだ・笑)

上に挙げた3つの常識の定義。

これらは完全に僕の思いつきで書いただけなんですが、
この3つには実は共通点があります。

さて、その共通点とは何でしょうか。

ヒントは・・・ありません(笑)

これは帰納的思考力を鍛えるためのトレーニングです。

帰納というのは、与えられた情報から何らかの法則や
共通項などを見つけ出す作業(?)だと思って下さい。

この作業を常日頃トレーニングしていると、
普通の人には見えない世の中の普遍的な法則や
共通点が見えるようになってきます。

電車に乗っている人は何を求めているのか。

サラリーマンは何にお金をかけているのか。

そーゆーことが見えてくるようになるので、
何かしらビジネスをやろうと思っている人は
特にやっておいた方がいいかもしれません。

ちなみに、逆に法則や共通項を具体的に当てはめていく作業を
演繹と言います。

哲学書とか難しい学術書なんかにはよく出てくる言葉なんで
意味を覚えておくと多少読みやすくなるかもしれません。

まあそれはいいか。

そろそろ答え出ました?

じゃあ答え合わせをします。

答えは、

【誰もが持ってて(知ってて)当然という前提があること】

です。

「知ってなければならないこと」というのは
裏を返せば「知らないのはヤバイ」という意味ですよね。

「生活するために最低限必要な・・・」というのも
裏を返せば「それが無かったら生活できない」という
意味になります。

「誰もが当たり前にすること」は裏を返すまでもなく
「みんなが無意識にやってること」という意味ですね。

つまり常識は、誰もが持ってて当然と思われているもの、
ということになるワケです。

まあここまでは別に大した話じゃありません。

自明なことをトレーニングを交えつつ確認しただけですから。

問題はここから。

じゃあ相対主義の世界では【常識】はどうなってしまうのか。

軽く結論を言ってしまうと、常識の定義自体は変わりません。

定義ではなく、常識の【在り方】が変わります。

相対主義のことを久々に思い出して欲しいんですが、
相対主義を生きるわれわれの特徴は一言で言えば

【バラバラ】

でしたね。

従うべき一つの絶対的な基準が存在しないから
みんな好き勝手やって生きている。

アイツはアイツ、オレはオレ。

アイツがどう思うかは知らないけど、
オレはオレでやりたいことやるからほっといて。

これが相対主義の主な特徴でした。

ってことはですよ。

相対主義の世界で万人に共通する1つの常識なんてものは
存在しえるのか?という話になるワケです。

みんなバラバラの価値観を持って考えたり動いたりしてるのに、
常識だけが統一されていることなんて有り得るのか、と。

有り得ないですよね?

だって相対主義ではみんな

「自分の持ってる常識こそが常識なんだ!」

って思ってしまうんだから。

要するに

相対主義における常識というのは、共同体の中の
誰もに共通した1つの常識ではなく、個人個人が
バラバラに持っている【自分勝手な】常識に過ぎない、

ということなのです。

こんなのはもう常識じゃないですよね?

常識という名の個人主義というか何というか。

「オレが基準だ」的な常識観になってしまっている。

他人に対して自分の常識を押し付けるワケではないので
そこまでは言い過ぎかもしれませんが、それでもやっぱり
従来の常識とはかけ離れた意味になってますよね。

のび太がぶつかって謝らないのはムカつくけど、
オレ(ジャイアン)がぶつかって謝らないのは
何も問題ない、みたいな。

これは僕の偏見かもしれませんが、電車の中や街中の風景を
見ているとそんな風に感じることは多いです。

で。

また前回の話に戻ります。

前回の【共同体の常識】という言葉が出た辺りを
読み返してみて欲しいんですが、その辺に

われわれには共同体の常識があるから、自分の目標が
明確じゃなくても虚無感に襲われずに毎日をそれなりに
生きることが出来るんだ

という感じの文章があると思います。

コレ。

逆に言えば、共同体の常識がなければ虚無感に襲われる、
ってことですよね。

ということは、現在社会問題になっている自殺者の増加と
相対主義の関係が見えてきませんか?

社会の大きな目標であったはずの共同体の常識が崩壊した結果、
多くの人が目標を見失い、虚無感に襲われ、
その精神的苦痛を避けるためにみんな自殺していく・・・。

これが正しいかどうかは分かりませんが、
僕にはそういう構図が見えます。

さっきも言ったように、相対主義でも常識自体は存在します。

ただ、その常識は共同体の常識ではなく、何の基準にも
支えにも成り得ない「ヤワ」で自分勝手な常識に過ぎません。

より分かり易く言えば、それは

もたれかかることの出来ない常識であり、目標

なのです。

なぜなら、そこには【文化】という大事な大黒柱が
抜け落ちてしまっている。

もう分かると思いますが、共同体の常識というのは
【文化】と同じ意味なんですね。

われわれが【日本文化】という言葉を口にするとき、
それは【日本(という共同体)における常識】を
意味します。

もちろん文化という言葉にはもっと広い意味もありますが、
それはまた別の話。

今ここで言う【文化】とは上のような意味です。

その文化が今、無くなろうとしているのです。

近所付き合い?そんなの面倒だし。

年賀状?別にメールでいいじゃん。

お中元?お互いにやめればお金もかからないし、楽じゃん。

・・・。

こんな声がどこからともなく僕の耳には聞こえてきます。

これまで常識だったそれらの文化が軽視され、
最新鋭のITの方が重要視される時代。

そんな時代が現代です。

こんなことを偉そうに書いてる僕も、こうやって
ネット上でブログを書き、メールを送っているワケですから
その影響から脱することは出来ていません。

でも、大事なのはそれに【気付いている】ことだと
思うんですね。

これは自分を正当化してるんじゃなくて、
【今の時代に迎合しないために】という意味で。

時代は【気付いていること】が大事なのであって、
流れに【乗らないこと】が大事なワケではありません。

というか流れには乗らないといけない。

だってそれがその時代のルールですから。

ただ僕が言いたいのは、その流れに乗りつつも
「自分を見失ってはいけない」ということなのです。

「みんなバラバラだから自分もバラバラでいいや」ではなく、
そんな状況を見つつ自分もバラバラのような振りをして
一歩高い視点で全体を見渡しておく。

この視点がないから、いつの時代も多くの人は
メディアに踊らされてしまうワケです。

要するに、現状が普通だと思わないで欲しいのです。

むしろ今は【異常】だと思って欲しい。
(正確に言えば、常に「今」を疑って欲しい)

何を以って異常とするのかは人によると思いますが、
僕はほとんど何もかもがオカシイと思っています。

そもそも【常識がバラバラ】という時点で、
根本的なところからズレてますから。

ただ今は、それにいきなり反発するんじゃなくて
様子を伺っておいてほしいんですね。

大事なのは上に書いたように【気付いている】ことなんで。

いろんなニュースを見ながら

「あぁ、相対主義なんだなー・・・」

と感じ取っておいて下さいませ。

さてさて。

なんか今回の記事は取りとめのない感じで
進めてきちゃいましたが、意味は伝わったでしょうか?

念のためにザックリまとめておきますね。

相対主義の影響によって共同体の常識は崩壊し、
個人が自分勝手な常識を持つようになった。


しかし、文化(共同体の常識)を無視して個人が作り上げた常識は
自分さえ支えられないほどに脆かった。

その結果、人は自分で自分を追いやることになり、
今や自身をも崩壊させてしまっている。

文化の無い人間とは、大黒柱の無い家である。

どれだけ外見を立派に見繕っていても
軽い地震があっただけですぐに崩れ落ちる。

見た目や「安さ」にこだわるのもいいが、本当に大事なのは
いざという時に自分を支えてくれる大黒柱ではないだろうか。

こんな感じ。

こんなにスッキリまとまるんなら、最初から
これだけ書いときゃよかった(笑)

まあそれはともかく。

今回の記事は今までの記事の「総まとめ」的な
意味合いが強いので、これを機会に今一度
以前の記事を読み直してもらえれば新たな発見があったり、
より深く理解できる部分があったり、何かと気付くことが
あると思います。

ってかそうなるように書いてるので
出来れば復習して欲しいと願う今日この頃。

よろしくです。

ではでは。

ありがとうございました。