前回の記事を書いてからちょこちょこ【ベーシックインカム】
というキーワードでブログに来る人が現れ始めました。

僕は実はベーシックインカム関連の書籍は一切読んでないので
ただ概念を知っているに過ぎないのですが、世間では結構
話題になってるんですねー。

まぁ自分達の生活に直接影響の出る考え方だから
興味があるのは当然と言えば当然か。

かくいう僕は、そーゆー実利的な側面には全く興味はなく、
どちらかと言えば【ベーシックインカムという考え方】
それ自体に興味があります。

哲学好きの嵯峨ですかね(笑)

考えることが楽しい。

そんなワケで、今回はなるべく難しい概念を交えずに
社会的倫理観という視点からベーシックインカムを
語ってみようと思います。

まずは社会的倫理観の話から始めましょう。

僕がここで言う社会的倫理観とは

働かざるもの、食うべからず

という世間一般に常識だと思われている倫理観です。

当たり前と言えば当たり前ですよね?

働いてない、つまり誰の役にも立ってないんだから
そんなヤツに飯を食う資格はない、と。

これは今の世の中だったら誰もが認めることだと
思われます。

しかし、です。

もしベーシックインカムが採用されたと仮定したならば、

働かざるものも食ってよし

という変化をもたらしはしないでしょうか?

これはある意味で基本的人権の尊重ではありますが、
僕は個人的に【働かない人】と【働けない人】は
一緒にしちゃいけないと思うのです。

社会的倫理観の話にちょっと戻りますが、
ここでの前提は

働かざるもの、食うべからず】

でしたよね?

それは決して

働けないもの、食うべからず】

ではありません。

この辺にベーシックインカムの社会主義的な問題が
孕んでいる気がするんですよねー。

某堀江氏(笑)はこの社会的倫理観を「古いのかもしれない」と
ブログに書いていました。

彼が言うには、

「30万円かけて20万円の利益しか生み出さないような仕事が
世間には溢れている」

「そんな仕事を無理矢理生み出して非生産的なことを
するぐらいならお金の無い人に直接20万円あげた方が
実質10万円の利益が出るんじゃないか」

と。

そーゆー考え方のようです。

僕もこれは一理あると思います。

特に公共機関などの仕事については、さもありなん、
という感じですし。

ただ、この考え方が常識化すると、今度は

働かないヤツが得をする

という誤った価値観が生まれてしまう危険性があります。

実際、働かないヤツはお金をもらえるのに
働いてる人は税金を取られるワケですからね。

そりゃそーゆーことも言いたくなるだろう、と。

要は、何でも平等にすりゃいいってもんじゃないよね?
ということです。

平等と専制が結合することになれば、心情と知性の一般的水準は
低下の一途をたどるだろう

ってトクヴィルも言ってますし。

あ、これは民主主義の話か。

まあともかく、平等を突き詰めると不平等が生まれる、
ってことが言いたかったんです、僕は。

国民全員が自分のやりたいことが出来るように
国が生活費を補償する。

この考え方自体は素晴らしいことだとは思いますが、
どこまで国民を国に依存させる気なんだ・・・とも思います。

いや、むしろ後者の方が強く思う。

【国とは何なのか?】【なぜ国が必要なのか?】っていうのを
一度でいいから考えてみて欲しいなー。

ではでは。