現在の日本社会で求められている能力を3つ挙げろと言われれば、
恐らく多くの人が英語力、主体性、コミュニケーション能力という
3つを挙げるのではないかと思います。

特にコミュニケーション能力については、ここ20年ほどで随分と
その不足が指摘されるようになってきました。

これはよく考えてみると、携帯電話やインターネットが普及し始めた
時期と重なります。

そもそも携帯電話は、より円滑に個々がコミュニケーションを
とることができるように開発されたものです。

いつでもどこでも話したい人と連絡が取れ、場所に縛られることなく、
周りを気にすることなくコミュニケーションをとることができる。

これが携帯電話が登場した本来の意義だったと思います。

しかし蓋をあけてみると、今や携帯電話はコミュニケーションを
疎外するものとして存在しています。

誰もが携帯の画面にばかり夢中になり、本来何よりも優先して
コミュニケーションをとるべき相手である、目の前にいる他者の
存在を軽視するようになったのです。

友達同士で遊んでいるときでさえ、彼らはお互いの顔ではなく、
自分の携帯に意識を向けています。

相手がトイレで席を外そうものなら、すぐさま携帯を開いてメールや
ラインやフェイスブックやツイッターを確認するワケです。

こうして相手から意識をそらす時間が増えるに従って、その場での
コミュニケーションの質が低下していったことは明白でしょう。

この傾向を生み出した張本人は携帯ではなく、インターネットである
ことは言うまでもありません。

携帯がただの電話だった頃は、誰も携帯の画面に夢中になったり
しなかったワケです。

それが携帯でもインターネットに繋げられるようになったことで、
携帯は「電話」ではなく「環境」になりました。

あらゆる便利な環境を携帯できるもの。

それが今の携帯電話でありスマートフォンなのです。

そして最近はこれにタブレット端末が加わり、ますますこの傾向に
拍車がかかっています。

多くの人は便利になったと喜んでいますが、これによって今も
失われ続けているコミュニケーションの質と量は計りしれません。

これから生まれてくる子供たちは、こういった環境が当たり前の
時代に育てられます。

その結果、世界はどうなっていくのか。

時代に求められる能力とは、時代が失った能力でもあるのです。

 

こういう時代において、コミュニケーション能力があることは、
それだけで突出した価値になります。

みんなが持っていないもの、みんなが求めているものを自分だけが
持っていれば、そりゃ価値が高いのは当然ですよね。

ところで、コミュニケーション能力とは一体何なのでしょう?

この定義には無限の答えを出すことができますが、ここでは
「伝える力」をコミュニケーション能力としておきます。

つまり今の時代は、伝える力を身につければ突出した価値になれる、
すなわち、周りから必要とされる人間になれるということです。

相手に何かを伝えるには、何かしらの媒体を通して伝える必要が
あります。

その中で最も一般的なのが言葉です。

「ちょっとそれ取って」「危ない!」「おはようございます」など、
われわれが何かを伝えるときには、主に言葉を使います。

というよりも、われわれが「伝える」と言うときには
「(言葉によって)伝える」ということを意味していますから
それ以外の媒体を思いつく方が難しいはずです。

しかし、実は言葉という媒体は僕の知っている媒体の中では最も
相手に伝わり難い媒体なのです。

心から嬉しいときには、誰しも「ありがとう」では伝えきれない
感覚があると思います。

それは「ありがとう」という言葉の媒体が、その気持ちよりも
小さいからです。

われわれが本気で伝えたいと思うとき、その思いは言葉には
収まりきりません。

言葉は感情や気持ちを荒削りに軽量化(概念化)したものなので、
誰にでも扱いやすく便利ですが、その分だけ相手には「軽く」しか
伝わらないのです。

 

われわれが何かを伝える際に用いることができる媒体は全部で
3つあります。

1.言葉
2.行動・態度
3.存在

の3つがそれです。

これは下に行くほど伝わりやすくなっています。

言葉が一番伝わり難く、次に行動・態度、最後の存在が一番相手に
伝わりやすいということです。

1の言葉については今説明した通りなので、ここからは残りの2つを
説明していくことにしましょう。

 

あなたは口で「今度手伝うよ」と言う人と、実際に手伝いに
来てくれる人のどちらを信用するでしょうか?

よほど特別な理由がないかぎり、普通は後者を信用すると思います。

では、なぜわれわれは後者を信用するのでしょう?

後者の方が気持ちが大きく伝わるからです。

もしかしたら前者も手伝う気はあるのかもしれません。

しかし、実際に手伝いにこない以上、前者の気持ちはその程度のもの
としてこちらに伝わります。

一方で後者は、「言うはやすし、行うはがたし」と言われるように、
敢えて難しいことをこちらのためにやってくれたワケです。

わざわざこちらのために時間と労力を割いてくれた。

これは理屈ぬきに、気持ちが伝わってきます。

言葉より行動や態度の方が伝わるというのは、こういう素朴なことを
言っているだけです。

逆に言えば、気持ちが大きければ、それは嫌でも行動や態度に如実に
表れます。

自分のことを尊敬しているか見下しているかは、相手の態度を見れば
誰でも分かるワケです。

伝える力で重要なのは、この「気持ち」です。

かなり訓練された役者でないかぎり、どれだけ隠そうとしても
気持ちは行動や態度に出てしまいます。

いや、役者は自分の気持ちがコントロールできるから役者なのです。

われわれには到底そんな真似はできませんから、むしろ自分の
気持ちに対してより正直になることを目指すべきでしょう。

それは要するに、気持ちの向かないこと、心に思っていないことは
やらない、気持ちの向かない相手には何も伝えないということです。

だって、どうせ自分の気持ちの向いていない相手になんて何も
伝わらないんだから。

われわれが行動や態度で何かを伝えられるのは、行動や態度で
自分の気持ちを伝えたいと思うような相手に対してだけです。

つまりわれわれは、「原理的に」自分の好きな人や尊敬する人にしか
気持ちを伝えることができないのです。

だとすれば、行動と態度に関してわれわれにできることは、
2つしかありません。

1.好きな人(尊敬する人)とだけ接する
2.接すべき相手を好きになる(尊敬する)

このどちらかです。

どちらかによってしか、われわれは相手に言葉以上の何かを
伝えることはできません。

なぜなら、この「好き」や「尊敬」の気持ちがわれわれの相手に対する
行動や態度を支配しているからです。

まとめてしまうと、話はおそろしくシンプルになります。

「相手に何かを伝えたければ、できるかぎり相手のことを好きに
なればいい」

それだけです。

すなわち、伝える力とは、相手を好きになる力のことなのです。

 

胡散臭いと思ったでしょ?

でも、これが真実です。

無関心な相手、嫌いな相手、見下している相手となんて、まともな
コミュニケーションはとれません。

というか、そもそもそういう人とはコミュニケーションをとりたいと
思わないですよね?

仕事で強制されるのでないかぎり、普通そういう人たちとの関りは
避けると思います。

逆に好きな人や尊敬する人に対しては、なんとかして関われるように
積極的になります。

片思いの相手や憧れの芸能人に会うためならば、われわれは高い
交通費や旅費を払ってでも会いに行くワケです。

そして気持ちが強いほど、ただ会うだけでなく、できるだけ自分の
印象が強く残るような工夫を考えます。

何をすれば相手は喜ぶだろうか。

何をすれば覚えておいてもらえるだろうか。

その思考錯誤の結果、相手への気持ちは行動や態度に表れるのです。

だから、われわれは相手を好きになるだけでいいということです。

納得いったでしょうか?

 

最後は行動や態度を上回る媒体、存在についてです。

これについては実は説明できることがほとんどありません。

というのは、これこそまさに言葉にならない領域の話だからです。

言えることは、前回の記事の最後に言ったことと同じです。

とにかく周りに有無を言わせぬ人間になること。

それが存在という媒体を使う方法です。

言葉でもなく、行動や態度でもなく、存在そのものが語りかける。

これが何よりも強く伝わります。

「生きざま」と言えば、多少は分かりやすくなるでしょうか。

自分が伝えたいと思うことを、生きざまとして表現できたとき、
それは何よりも相手のコアに伝わるのです。

今も継続中のThe Hard Lifeという講座では「背中」という言葉を
使いました。

「子供は親の背中を見て大きくなる」の「背中」です。

この「背中」は行動や態度を通して作られます。

日々の積み重ねが「背中」となって表れるということです。

毎日何を見て、何を聞いて、何を食べて、何を感じて、何を考えて、
何に意識を向けて生きているかが、すべて「背中」に反映されます。

存在は最も伝わりやすい媒体ですから、隠すことができません。

それは嫌でも相手に伝わってしまいます。

引き寄せの法則があるとすれば、恐らくこのことでしょう。

存在が語ることは、存在のレベルによって変化します。

ショボイ存在はショボイことしか語りませんが、偉大な存在は世界に
偉大なことを語りかけるのです。

それによって、その存在のレベルに応じた人たちが、その語りに
共鳴ないし呼応して寄り集まってくる。

そういうなんとも不思議なことが、われわれの目に見えないところで
頻繁に起こっているということです。

 

これについては信じなくても構いません。

というか、実際に体験しないと分からない話なので、体験するまで
信じられないのが普通だと思います。

今の話はまったく理屈になってないですから。

説明されて理解できる話ではありません。

だったらなんで説明したんだ、っていうツッコミは入れないでね。

まあ、そういう話なので、分からなければ「ふーん」と読み流して、
行動と態度のところを実践していってくださいませ。

 

以上の3つ

1.言葉
2.行動・態度
3.存在

の順番で伝わりやすさは強くなります。

常識的にコミュニケーション能力が失われている今の時代において、
1を超えて2や3を使える人は、相当活躍できる人材です。

凡人から脱する以上は、それぐらいの人にはなってもらわらないと
困りますから、今回の記事はよくよく復習しておくように(笑)

まだまだやることはいっぱいありますよ。

覚悟しておいてください(笑)

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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