ここのところ色々なメディアでイノベーションという言葉を目にすることが増えてきました。

創造的破壊、コペルニクス的転回、パラダイムシフト、リフレーミングなどなど、呼ばれ方は業界によって異なりますが、どれも意味はほとんど同じ。

これらが意味しているのは

われわれにとっての「当たり前」を当たり前でないようにする

ということです。

一般にはこれを、常識を覆す、とか言ったりしますが、要はそれさえできればイノベーションは起こるワケです。

しかしそれが口で言うほど簡単ではないことは、イノベーションについて少しでも考えたことのある人なら誰でも実感していると思います。

必死になって頑張ってみても、どこかの会社のようにテレビと空気清浄機を合体させてみたり、より高精度の液晶を開発してみたり、そういう勘違いが大半なワケです。

 

僕が考えるに、イノベーションが起こらない主な原因は、自分たちの「当たり前」が何かを自覚できていない、という点にあります。

日本の大手家電メーカーがしょーもないのは、柔軟な発想ができないからというよりも、自分たちが何に凝り固まっているのかを自覚していないからなのです。

テレビに空気清浄機をくっつける。

確かにこれも従来のテレビとは違った新しいものだと思います。

けれども、これをイノベーションと呼ぶのにはどこか違和感がある。

その理由は、くっつける物は多少珍しくても“くっつけ方”が凡庸だからです。

もう少し突っ込んでいえば、テレビをテレビ、空気清浄機を空気清浄機としてしか見ていないからです。

以前アフォーダンスの話をしたことがあると思いますが、テレビとはあくまでも映像を映し出す装置、いや、電気を使って映像を映し出す機能を持った大きな四角い物体でしかありません。

本来なら、それを使って映像を見るかどうかは、われわれがその使い方を選ぶかどうかによって決まります。

自分がその物体を邪魔だと思えば、それはどれだけ高性能であってもゴミになる。

モノの定義とはその程度のものなのです。

ですから、テレビや空気清浄機というのはそのモノが持った1つの側面でしかなく、テレビが単なる大型不燃ゴミではなくテレビであるのは、まさしく売り手がその側面のみをアピールし、われわれに対してそういうものであると強引に定義づけているからなのです。

この「当たり前」をほとんどの企業は自覚していません。

電気を使って映像を映し出す機能を持った大きな四角い物体をテレビとして売り出すこと、それを当たり前だと無自覚に思い込んでいるからこそ、何の悪気もなく彼らは「これはテレビです」と言って販売することができるのです。

僕が手前で、イノベーションを起こせない主な原因は「当たり前」を自覚できていないからだ、と言ったのはこのことです。

今の話は分かりやすいように企業を例にしましたが、これは別に商品開発に限った話ではありません。

知識にも、人間にも、同じようなことが言えます。

しょーもない知識も、しょーもない人間も、すべての根本にはこのことが関係しているのです。

 

「当たり前」はその言葉の通り、われわれにとって当たり前のことですから、それ自体は面白くも何ともありません。

見たり聞いたりしても何の感動もしないもの、ごく身近のありふれたもの、それをわれわれは「当たり前」と呼ぶワケです。

息をすること、体を動かすこと、水道の蛇口から水が出てくること、スーパーに行けばいつでも食料品が手に入ること、毎日何事もなく生きていること・・・。

これらはすべてわれわれにとって「当たり前」ですが、こうやって言葉で説明されなければ、通常は意識すらしないと思います。

それが「当たり前」が当たり前である所以です。

そのため誰もが「当たり前」に対して無自覚的で無意識的であり、その「当たり前」が揺らがない限り、それについて深く考えるようなことはほぼありません。

つまり「当たり前」を自覚していないこと自体はわれわれにとって普通のことであり、何か問題があるワケではないのです(道徳的には多々問題があるのですが、その話はまたどこかで)。

けれどもビジネス的に、知的に、人間的に、イノベーションを起こしたいと考えている場合は別です。

冒頭で話したように、イノベーションとは常識を覆すことなのですから、その常識、つまり「当たり前」を自覚していないことには話になりません。

犯人を知らなければ犯人を捕まえることも、ましてや改心させることもできない。

それゆえ、イノベーションを起こすことを主題とした場合、最初に考えなければならないのは、そもそもわれわれは何を「当たり前」として生きているのか、「当たり前」はどんな役割を担っているのか、ということです。

もちろんこれが分かっただけでイノベーションが起こせるということではありませんが、このことがイノベーションの第一歩として非常に重要であることは、ここまでの話からして異論はないでしょう。

ただ改めて考えて欲しいのは、ビジネスだろうが、知識だろうが、それらはすべて人間に関することである、という点です。

われわれ人間の活動がなければ、知識やビジネスは成立しません。

というより、「当たり前」という土台の上で行っている思考や行動が反映されて、それは知識やビジネスになるのです。

だったら。

ビジネス的イノベーションとか知的イノベーションとか、そういったことをちまちま考えるのではなく、われわれ人間自身の「当たり前」を問い直せば、あらゆる意味でのイノベーションを起こしやすくできるのではないでしょうか。

そしてそれが良くも悪くも人生を変えること、人生を「逆転すること」に繋がるのではないかと思うのです。

 

ここで「それでは僕と一緒に人生を変えましょう」などと巷の成功哲学愛好会のような気持ちの悪いことを言うつもりはありません。

ましてや僕にはあなたの人生を変えられるほどの力はないし、その資格もない。

僕のような人間がそんなことを口にするのは「おこがましい」というものでしょう。

神様でもあるまいし。

またそれ以前に、人生を変えること、人生を「逆転すること」、それ自体が良いこととは限りません。

イノベーションを起こすというと世間的には良い意味に捉えられることがほとんどですが、要は常識的でない思考を手に入れていくワケですから、必然的に常識的な人からは受け入れられなくなっていくことは十分に有り得ます。

場合によっては、今まで普通に付き合うことができた友人と話が通じなくなることもあるかもしれません。

「それでも変わりたい」

そう言い切れる者にのみ、自ら変わる資格が与えられるのではないでしょうか。

 

僕の言っていることは昔から何も変わっていませんが、僕は上記のような人と一緒に勉強したいし、仲間になりたいし、いろんなことに挑戦したいと思っています。

だからこそ、こんなマニアックな記事をずっと書き続けてきているワケですが、個人的な事情で来月以降からはよりパワフルに、よりアグレッシブに活動を本格化させていく予定にしています。

ブログの更新頻度も上がると思いますし、メルマガを出す頻度も上がるでしょう。

またイノベーションに関するセミナーや読書講座なども予定として考えています。

そしてあわよくば、仲間を巻き込んで海外進出なども出来ればな、と考えているところです(僕個人は1年ほど前から海外で物を売ったりしています)。

だからどうした、と言われればどうもしないんですが、ブログも新しくなったことだし、いい機会なので改めて仲間(便宜上はメルマガ読者)を募集しようかな、と。

要はそれだけです。

よかったら僕と一緒に(人生)勉強してみませんか?

イノベーティブな生き方。

きっと楽しいと思いますよ。

 

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ちなみに今なら登録のおまけで『「当たり前」の構造』という18ページ程度のPDFレポートがついてきます。

この名前からも想像がつくように、内容はこの記事の続きです。

われわれの「当たり前」を具体的に紹介し、思考はいかにして可能か、会話はいかにして可能かなど、そんな感じのことを解説しました。

いつも通り難しい話はしてませんので、気楽に読んで下さい。

敢えて専門的に言うならば、メタ思考やメタ認知といったメタレベルの話、ないしオートポイエーシスの原理などにも関連したテーマです。

まあレポートの中にはこんな言葉は一言も出てこないんですけどね(笑)

こういう言葉を出した方が理解しやすい場合もあるかと思ったので一応。

ではでは、今回も長くなりましたがこの辺で。

ありがとうございました。